一週間、といえばゴールデンウィーク。
黄金週間だなんて、素晴らしいネーミングセンスだ。
オレが「一週間」と聞いて真っ先に連想するものはこれくらい。
華やかで、煌々としていて、誰もが待望する。
だから一週間って、本当は素晴らしいものなんだろうと思った。
日にちだってラッキーセブンの7だ、とよく分からないことを考え、
指先からじわじわと身体の力を、ゆっくりと抜いていく。
がたん、と大きな音がして、目覚まし時計を落としたのだと後になって気付いた。
その音すらどうでもいいほどに、オレは夢現な状態だった。
ぼんやりと目を覚まし、時計を掴み、とっくに朝を迎えていることを確認する。
それから一週間について考え、壁に掛けてある逆さになって見えるカレンダーを見上げて、
溜め息を漏らしたのはほんの数十秒前のことだ。
あいつがこの家からいなくなる日まで、残り一週間と迫っていた。
なんとも有り難味の無い一週間だ。
のそりと上半身を起こして、こほ、と小さく咳き込む。
蚊取り線香の煙が、目に、喉に、沁みた。
日付が変わったら残りはたったの一週間なのだと、昨日の夜にふと思い出して、
そのせいでオレはよそよそしくエンヴィーに接してしまった。
なんとなく寂しかったら、また枕を持ってエンヴィーのところに侵入しよう、なんて思っていたけれど
すぐに諦めてなかなか寝付けることができないままぼんやり天井を見上げる。
カチ、カチ、という秒針の音をしばらく聞いて、サイドテーブルの上の目覚まし時計に手を伸ばした。
あと一分で、今日という日が終わる。
日付が明日へと変わる。
エンヴィーと離れてしまう日に、また一歩近付くんだ。
一週間ってどれくらいのものなんだっけ。
早く過ぎてしまうような気がする時もあれば、なかなか一週間が終わらなくて焦れてしまう時もある。
一日は24時間と決められているんだから、気のせいなんだろうけど。
そんなことを思っている間に、いつの間にか30秒経ってしまった。
残り半分、とぼんやり考え、ゆっくりと進んでいく針を見守る。
たまにはお前も休めばいいのに、と人差し指で針を押さえ付けようとしたけれど、
透明なプラスチックに遮られてしまっただけだった。
時計という物体に有る僅かな隙間の中で、相変わらず針は進んでいく。
カチ、と世界が終わる合図のような音が聞こえた。
同時に日付が変わったことを知らせるために、時計がオレンジ色に光る。
余計な機能だ、と思った。
あぁ、一週間か、と枕に顔を埋めて目を瞑った。
あんなにも昨日の夜は時が過ぎていくのを嫌悪していたくせに寝坊とは、と
自分に苦笑して、落としてしまった時計を拾っていつもの場所に置いてやる。
そういえば今日で今月も終わりか、と小さいカレンダーを捲って、びりびりと破いた。
まだ今日という一日が残ってるのに勿体無い、という人はいるかもしれないけれど
オレはさっさと新しいものに変えてしまう癖がある。
じゃあリビングのカレンダーも破らなきゃいけないし、
トイレにあるカレンダーもさっさと破って来月のものにしなければ。
欠伸をしたせいで涙が浮かんで、目を擦りながらベッドから降りる。
とんとん、と階段を下りる途中いい匂いがしたけれど、まずはトイレだ。
用を足して、カレンダーを破いて捨てて、のろのろとリビングに向かう。
おはよう、と掛けられた声に返事をして、まだダルい身体をソファに横たえた。
ねむい、と愚痴のように何度もくり返して、鉛のように重い瞼をなんとかこじ開ける。
ふと視界に入ったカレンダーに、あぁそういえば、とぼんやり思った。
今月のカレンダーを破けば、来月の、つまりエンヴィーが帰る日を印しているあの跡を見ることになる。
赤いペンで、ナイフで抉った傷跡みたいな印をこれから毎日見ることになるのか、と思ったら
なかなかカレンダーを捲れずにいた。
でもしょうがない。自業自得というやつだ、とソファから立ち上がってカレンダーの側にいく。
よりによって一番目にするリビングのカレンダーに印するなんて、と
後悔しながらそっと捲り、びり、と痛々しい音を立てて紙を破いた。
いまでもオレにちくちくとした痛みを与え続ける傷口みたいなその印は――なかった。
あれ、と間抜けな声が漏れる。
いや、たしかにあの日オレが描いた線はあった。
ただ、別のものへ変わっていたけれど。
真っ直ぐな赤い線の先っぽに、赤くて丸いものが、3つ。
たぶん、これは、葉っぱ。
オレが描いた真っ直ぐな線は、折れたり曲がったりしていない、凛とした強い茎となり、
3枚の大きな葉っぱを持ったクローバーへと変わっていた。
なんだこれは。
数回瞬いて、まぁあいつならカレンダーに落書きくらいするだろう、
なんて思ったらなんだか笑い出してしまった。
笑いを堪えて肩を揺らしていると、どうしたの、と顔を覗かせたエンヴィーが首を傾げる。
あいつにとっては、何気無いただの落書きだったんだろう。
いたずらをしたわけでもない、ただの、何気無い茶目っ気。
だけどすごく救われた気がした。
もうここに、あの忌々しい傷跡のような印は無いんだ。
くるりとあいつの方へ振り向いて、へらりと笑ってやる。
「お前落書きしやがったな。なんでクローバーなんだよ」
「あはは、ばれちゃった?だって幸せそうな感じがするし」
「それだったら四つ葉だろ」
「うーん、まぁ普通はそうだけど」
昨日の夕食の残りを温めてテーブルに並べたエンヴィーが、ちょっと考えるように首を傾げて、
「平凡な幸せは三つ葉で十分叶うと思うんだよね」と言った。
ふうん、とオレも同じくらい首を傾げる。
じゃあ平凡な幸せってなんだ、とオレは聞いてみた。
「…何気無い普通の、幸せな生活じゃない?」
「ふうん…?」
たぶんそうかな、と言ったエンヴィーに、なるほど、とオレは大きく頷く。
ただいま、と言えばおかえり、と返されることだろうか。
一緒にテレビを見て笑ったり、泣いたり。
ご飯を食べて美味しい、と笑い合って、おやすみ、と言ってから眠って。
そういうことだろうか。
それってすごく、しあわせじゃないか。
なるほど、平凡な幸せ、ねぇ。
悪くないかもしれない。
なるべく音を立てないように、そっと扉を開けた。
キィ、と微かな音はしてしまったけれど、そんなに響くほどでもない。
そろりそろり、とひんやりとして冷たい廊下を裸足で歩く。
オレが目指すのは、隣の部屋だ。
そっとドアノブを掴み、それを回して手前に引く。
サイドテーブルの上のランプはオレンジ色の明かりを点していた。
「…ま、また来たの?」
「おう、一緒に寝てやってもいいぞ」
内心起きてたのかと焦ったけれど、平静を装いながらベッドに歩み寄った。
オレが手ぶらで来たことに気付いて、枕は、と聞こうとしたのか首を傾げる。
それでもその疑問を口にすることはなかった。
だって必要無いんだ。腕枕してくれるんだし。
エンヴィーもオレがそのつもりだと気付いたんだろう。
きっと今日も腕枕だ。
「…何の本読んでたんだよ」
「エドの借りたんだけど、難しくてさっぱり」
言いながら分厚い本をランプの横に置いて、壁の方へと寄って寝転んだ。
オレは遠慮無くその隣に寝転がり、向かい合って、へらりと笑う。
エンヴィーの腕に頭を置いて、躊躇いも無くぎゅう、と抱き付いた。
背中にもう片方の腕を回されて、ぎゅう、と同じくらいの強さで抱き締められる。
太いわけじゃないのに力強いその腕が、時々無性に恋しくなったりするから困ったものだ。
そんなの言ってやらないけど。
じっと息を詰めて、深呼吸をして、気分を落ち着かせようと目を伏せる。
柔らかくて優しい、眠気を誘うような沈黙を破るのには思ったより勇気が要るらしい。
「…あの、さ」
「ん?」
「ほ、ほんとは、い、言いたいことがあって来たんだけど」
目を合わせないように、顔を見られないように俯いてオレは言う。
なあに、と覗き込まれるだけで心臓が破裂しそうだった。
あ、あの、と掠れたような、裏返った声が出る。
言えるだろうか。言えないような気がしてきた。
どきどき、とどうしようもなく心臓は高鳴って、
既にエンヴィーに聞こえているんじゃないだろうか。
それでも息を吸って、吐いて、息苦しいけれど懸命に呼吸をする。
「あ、あと一週間しかないけど、でも、」
たったこれだけを言うのに、一体何十秒掛かったのだろう。
全部言い終わる前に、夜が明けてしまう気がした。
「…どこにも、行くな…っ、」
もっと言うべきことがあるんだろうけど、今のオレにはこれが精一杯だった。
ずっとここに居てください、とか。
もっと分かりやすく、率直に言えばいいのに。
でもオレにしては上出来だ、と思う。
「…すき、」
聞こえるか聞こえないかというようやく搾り出したような声に、
恥ずかしくて死ねる、と思った。
エンヴィーがオレのことをどう思っているのかとか、この際どうでもいい。
気持ちを伝えることができたら、それでいい。
「好き、なんだ…だから、」
どこにも行くな、と言ってしまえば緊張が一気に解けて、堪えていたものが全部、堪え切れなくなった。
すき、と何度も言いながらエンヴィーに抱き付いて、わんわん泣いた。
子どもみたいだ、なんて今更だから泣くことも我慢しようとせずに、ぎゅう、とTシャツを握り締める。
どんな顔しているんだろう。
困らせているに違いない。
「ずっと、ここに…、」
言いたかったことをようやく口にすることができたけれど、途中で途切れてしまった。
正しくは、声を塞がれた。
もっと正しく言えば、唇を、塞がれた。
ただでさえしゃくり上げて、緊張して、息苦しかったのに、呼吸も遮られた。
「…ん、」
声が漏れる。
一瞬だったか、何十秒だったか、何分だったか。
言いたいことを言えずに尻込みしている時から、時間の感覚が狂っている。
だからもう、正直どうでも良かった。
離れた瞬間すぐに空気を吸い込んで、少しだけ咳き込む。
それから自分のものかエンヴィーのものか分からない唾液を飲み込んで、また咳き込んだ。
エド、と名前を呼ばれても顔を見れるわけがなくてぶんぶん首を振る。
ぎゅう、と上から動きを全部封じるみたいにきつく抱き締められて、自然に吐息が漏れた。
「好き」
僕も、なんて夢みたいなことを言われた途端またオレは泣き出して、
言われたこと全部救い切れないままエンヴィーにしがみついた。
すき、とかありがとう、とか聞き逃したくないこといっぱい言われたんだろうけれど、
もうなにもかもごちゃごちゃなせいで全部は拾い切れなくて、それが悔しくてもっと泣いた。
泣いて泣いてないて、気が付いたらエンヴィーの腕の中で何事もなかったかのように眠っていた。
ゆめなのだろうか、と思って時計を見ると、朝とも夜とも判断できない時間だった。
暁、というのかどうかも、よく分からない。
それよりも少し夜に近い感じがする。
ゆめだったらいいな、とか、げんじつだったらいいな、とか思っている間にまた眠ってしまっていた。
温かい優しい腕の中が酷く心地良かった。
できればこのまま目が覚めなかったらいい。
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メイントップから物語は始まる。
あわわ
つ、次が最終回の予定ですがどうなるでしょう
あわわ
あわわわわ
ごめんなさい;;