オレを起こそうと懸命にアラームを響かせる目覚まし時計が、4度目の拳を頭上に浴びて不貞腐れたように黙り込んだ。
もう知らないからね、いま起きなかったら遅刻するからね、と秒針の音だけを静かに鳴らし始めて、再び部屋に静寂が戻る。
あと5分だけ、と呟いてから夢の国に戻ろうと目を瞑った途端、携帯も聴き慣れた音楽を鳴らし始めて小さく舌打ちをした。
黙り込んだ目覚まし時計の代わりに携帯がオレを起こそうとしているらしい。
あと5分だって言っただろ、と黙らせるために電源ボタンを押そうとしたけれど、親指は寸前でぴたりと止まった。
画面にはオレの彼氏カッコ仮の名前が表示されていて、目覚ましのアラームではなく着信音だったと気付く。
アドレスやら携帯の番号やらは交換したから知っていてもおかしくはない。
それにしても、こんな時間に何用か。

布団に包まったままベッドの上に正座をして、恐る恐る携帯を耳に当てる。
もしもしと言うべきか、おはようと言うべきか。
あと5分だってば、と携帯に言えなかった文句をこいつにぶつけるべきか?
『ねぇ、部屋のカーテンって黄色だったりする?』
悩んでいる間に、オレの彼氏カッコ仮が挨拶も無しにそう言った。
は?と声を漏らしながら部屋を見渡して、替えたばかりの黄色いカーテンを眺めた。
ちなみに言っておくがこれを選んだのは母さんであって、決してオレに乙女な趣味があるわけではない。
「なに、お前超能力あんの?」
もちろんあんなスッカラカンな脳味噌の持ち主に超能力なんてあるわけがない。
そんなことは寝惚けていたって分かるから、カーテンを開けて少し曇っている窓ガラスをパジャマの袖で拭くと、思った通りオレの彼氏カッコ仮、もといエンヴィー氏がオレを見上げていた。
やっぱり、と半ば呆れて何も言えないまま黒髪を見下ろして、条件反射のように窓ガラスを開ける。
「10秒で仕度して下りてきなさい」
なんて命令が携帯からも窓の外からも聞こえた。
「お前、なんでオレの家知ってんの?」
当然の疑問に対する答えはカウントダウンが始まったせいで聞くことができずに、慌てて窓を閉めて階段を駆け下りた。
馬鹿の代名詞のようなあいつに超能力があるなら、オレは瞬間移動だってすることができる。






「…酷い寝癖」
ちらり、と携帯の画面から一瞬だけこちらに視線を向けたエンヴィーが肩を揺らした。
うるさいな、お前が急かしたんだろ、と右側だけ跳ねている髪を撫で付けて睨み上げる。
撫でたくらいじゃ機嫌を直してくれない寝癖は、また重力に逆らってピョンと跳ねた。
右側だけが跳ねるメカニズムでもあるのかもしれない、とぼんやり思いながら赤いヘアゴムで寝癖が付いたままの髪を結ぼうとすると、エンヴィーは何が楽しいのかそれを取り上げてにこりと笑った。
性格悪いな、なんて今更だけどつくづく思う。
「な、なにすんだよ、返せってば!」
15センチはあろうかという身長差では、取り返そうと背伸びをしても足が攣りそうになるだけだ。
「結んでなくても可愛いよ。そのままでいいじゃん」
寝癖を撫でながら綺麗に笑われて、オレの身体は一瞬で硬直する。
「ば、馬鹿じゃねぇの、普通男に可愛いって言わないんだよ」
昭和のギャグかよ、寒いさむい、凍える、と大げさに肩を竦めながら背中を向けると、喋るたびに吐き出す息が白くなっていることに初めて気付いた。
それなのに不思議と身体が熱いのは、急いで走り回ったせいに違いない。
絶対そうだ、と心中で呟いたつもりが、無意識に音として冷え切った空気を震わせてしまったらしい。
黒髪が怪訝そうに顔をしかめて初めてそれに気付いた。
「何か言った?」
「…別に。何でもない」
異常なほどに照れ屋で意固地なオレにはそっぽを向くことしかできなくて、黒髪がまた首を傾げたことすら気付かないふりをした。

どうしよう、と心中でひっそり呟いて寒さのせいか震える指先を握り込む。
どうしよう、と次は寝癖の付いた髪を掻き毟りながら呟いて、うぅ、と呻き声を上げた。
「なに、どしたの」
オレの不審な行動にエンヴィーが首を傾げながら顔を覗き込んで、赤いヘアゴムを差し出す。
それを受け取ってポケットへと捻じ込む間も、一切視線を合わせなかった。
どうしよう、という3度目の呟きはこいつにも聞こえたらしく、なにが、と首を傾げられる。
その声も聞こえないフリをして、最後に行き着いた結論にこれ以上無いくらい身体が熱くなった。

もしかしたらこいつのこと、好き、なのか?
いや、有り得ない、絶対にない、と寒気に震えた身体で首をぶんぶんと横に振った。
エンヴィーは不審な行動を続けているオレを心配するのも飽きたのか、オレの歩調に合わせてのんびりと学校に向かっている。
マイペースな奴だ、ちくしょう、と八つ当たりをしてからおずおずと黒髪を見上げた。
「…あの」
控えめに声を掛けると、エンヴィーは暇だったらしく待ってましたと言わんばかりに見下ろしてきた。
「何ですか?」
「…オレといつまでこういうことするつもりなわけ?」
こういうこと、というのは恋人のフリということで、一緒に登下校することもキスのフリをすることも、もちろん含めている。
公衆の面前でキスのフリをさせられた時を思い出せばこんなこと早く止めてしまいたいと思うのに、なんとなくそれが無くなることを考えても寂しい気がする。
「付きまとってくる子がいなくなるまで」
「だから、それっていつまで」
「多分、一生」
「うわ、自意識過剰なやつ」
なんて言いながらそんな冗談に安心していることに気付いて、自分でも鳥肌が立った。
なに安心してんだよ、気持ちわる、と自己嫌悪している間に、同じく歩いて登校している生徒の視線が向けられていることに気付く。
オレとこいつとの噂は既に流れているらしく、ひそひそとした話し声が聞こえてきた。
あー、と辟易とした声を漏らすと、こちらを振り返りながら話す男子生徒の声までも聞こえてきて、その内容こそ鳥肌モノだった。
髪が綺麗だとか可愛いだとか、明らかにオレに向かって言っている科白に顔をしかめる。
そういう褒め言葉は女に言ってくれ、と呆れているオレに頭上から声が降ってきた。
「見せ付けるなら今だよね」
口調こそは楽しそうなのに、どこか冷ややかなのは気のせいだろうか。
「は?今ここで?」
「もちろん」
一緒に登下校するだけだと友達関係にしか見えないから、というのはエンヴィー氏曰くで、わざと人前でキスのフリをするのはこいつの策略らしい。
そんなこと聞いてない、という怒号は逆に人の視線を集めただけで、抵抗も虚しく黒髪が至近距離まで近付いた。
焦って血液を沸騰させながら全身に流し込む心臓に、落ち着け、と全然落ち着いていないオレが呼びかける。説得力が無い。
じっとしていれば大丈夫、じっとしていれば―――

無意識に逃げようとしたせいなのか、右足が僅かな段差を踏み外した。
慌ててエンヴィーの肩を掴んで体勢を整えようとしたけれど、オレが段差を踏み外したことなんて知らないエンヴィーはオレに身体を引っ張られて前によろける。
コンマ数秒の瞬間。
驚きに目を見開くと、黒い瞳も驚いたようにオレを見ていた。
唇に、なにかが当たった。
リップもなにも付けてないくせに、なんでこいつの唇は荒れていないんだろうか。羨ましい。
女子生徒の色めき立った声が響いて、そういえば今日は良い天気だな、と現実逃避に走ったオレは目の前の身体を突き飛ばして走り出した。

どこに行くかなんて混乱した頭じゃ考える余裕は無かったけど、真面目なオレの足はきっと学校に連れて行ってくれるに違いない。







本に囲まれた空間と独特な静けさが好きで、図書室にはほぼ毎日通っていた。
そういえばあいつに会ってから来る暇無かったな、とぼんやり思いながらいつもの椅子に座って、ごつん、と硬くて平らな机に頭を乗せる。
結んでいないままの髪が頬に当たってくすぐったい。
そろそろ伸びてきたな、少しくらい切ろうかな、と髪を掴んで毛先を眺めていると、視野の隅に机へ描かれた落書きが目に入った。
ふさふさとした鬣のあるライオンで、「百獣の王」とは程遠い気の抜けた顔をしている。
こんなところに落書きすんなよ、と消しゴムを擦り付けてやると、シャーペンで描かれていたそれは呆気無く姿を消した。
憂鬱さでいっぱいな今のオレには消えたライオンの跡が寂しくなってきて、ライオンのいた場所にシャーペンで大きく丸を描いてやる。
とくに意味は無いけれど、そうでもしないとライオンに申し訳無い気がした。

「みーつけた」
机に伏せているオレに覆い被さる間延びした声の持ち主は、顔を見ていなくても誰なのかはすぐに分かった。
ずっと教室に篭っていたおかげで会うことがなかったのに、わざわざこんな所まで探しに来るなんてよっぽど暇らしい。
「なにしてんの、こんなところで」
「うるさいオレに話し掛けるな。いま機嫌悪いんだよ」
「なんで」
「誰のせいだと思ってるんだ!」
頬に当たる黒髪がくすぐったくてイライラして、押し退けるように上半身を起こしながら睨み付けてやった。
ファーストキスってのは舞い散る花びらとかハートマークの幻覚が見えるくらいにロマンチックなんだと思っていたのに、不慮の事故で、しかもこいつとなんて有り得ない。
しにたいきえたい、と一日中念仏のように唱え続けたオレの気持ちは誰にも分からないだろう。分かって堪るか。
「もしかして怒ってる?言っておくけど君が引っ張ったんだよ」
「だから段差が悪いんだってば!」
「それに突き飛ばされた時痛かった」
「あぁそうですか、転ばなかっただけましだと思ってください」
正直怪我させなくて良かったとは思っているけれど、意地っ張りなオレにはそんな事言えるわけがない。

散々罵倒した後に呼吸を整えてから、はぁ、と最後に溜め息を吐いた。
「…もう終わりだ」
ごつん、とまた頭を机に乗せてそう呟く。
終わりだ、と地球滅亡が目前に迫ってきたかのように言うと、エンヴィーは向かいの椅子に座ってオレの顔を覗き込んだ。
「…しかも色んな人に見られてた。恥ずかしくて死ねる」
「そんな事気にしなくていいのに」
「お前のせいだよばか、」
じわり、と涙で視界が霞んだ。
悔しいのか恥ずかしいのかよく分からないが、こいつにイラついているのだけははっきりしている。
どうやって生きていけば、と思ったところで髪を撫でられてぼんやり視線を向けると、同じように机に伏せているエンヴィーがにこりと笑った。
「じゃあ俺が責任取ってあげる」
「…責任ってなに」
「嫁に来い」
いや結構です、と目を伏せると、ふうん、とつまらなそうに言う声が聞こえると同時に髪を撫でていた手の動きが止まった。
図書室にいるのはオレとこいつだけで、静けさはいつもと同じなのにやけに重く感じる。

「…別に俺は良かったんだけど」
少しの間の後のぽつりと呟いた声に、思わず少しだけ頭を浮かせた。
「は?」
「ちょっと嬉しかったし」
は?とまた声を漏らすと、数秒遅れて顔が熱を持ったのが分かった。
な、なにそれ、と困惑したまま視線を向けると、静止していたエンヴィーの手がまたオレの髪を触り始める。
「どういう意味、」
「君のこと気に入ったってこと」
頭を撫でるだけだった手の動きは、髪をくるくると指に絡めたり軽く引っ張ったり、なんというか落ち着きのない動きに分かった。
もしかして照れてるのか、なんて聞いたら意外と高いこいつのプライドをどうこうしてしまって絞殺されるに違いない。
だから黙ったまま、されるがままに頭を机に乗せてじっとしておいた。
「い、いつから」
「なんとなく」
「な、なんとなくってなに、」
「…」
「ごめんなさい、詮索し過ぎました」
これはつまり、偶然出会って彼女カッコ仮にしたオレを、好きになってしまったということだろうか。
そう思った途端、さっきまで悔しくて恥ずかしくて泣きそうになっていたことも、こいつに対して苛立っていたことも忘れてしまった。
かぁ、と赤くなった顔を隠すためにそっぽを向くと、エンヴィーが椅子から立ち上がる音が聞こえてびくりと身体を揺らす。
ぎゅう、と背後から腕を回されて、うぎゃ、とかそういった類の悲鳴を漏らした。
「好きだって言ってるんですけど」
こいつもあまり気は長くないらしい。
「だ、だってそんなの、」
急に言われても分かるわけないだろ、と震えた声で言いながら上半身を起こした。
じっとしていると恥ずかしくて心臓が潰れそうな気がする。
「あの、だから、返事はもうちょっと待っててください…」
語尾の辺りは聞き取れるかどうか分からないくらい小さくなったけれど、なんとか伝わったらしい。
えー、と不服そうな声を漏らしてから、首筋の辺りに顔を埋めて、猫科の動物のように擦り寄ってきた。
「うん、じゃあ待っててやるよ」
どこか嬉しそうな口調に視線だけを向けて、ごつん、とまた机に頭を乗せた。

もしかしたら好きかも、なんて今朝考えたばかりだけど、意地っ張りなオレは多分それを自覚して認めることすら時間が掛かるかもしれない。
いや、「かも」じゃなくて絶対そうだ。
返事なんて何十年も先にならないと出せる自信がない。
「何十年でも、何百年でも待つよ」
なにも言っていないのに、オレの心中を読み取ったかのような口調にどきりとした。
オレなんかのために何十年も何百年も人生を費やすなんて、ばかなやつだ。できるわけがないだろ。
「…お前、ほんとばかだな」
でも嫌いじゃない、かも、とひっそり思ったのは伝わらなくて良かったと心底思っている。












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めいんとっぷー

なんというかもう色々ごめんなさい

とりあえずお待たせしまし た …




ほとんど有害。

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