朝、ベッドから落ちたせいで頭が痛い。
後頭部打ったかも、何時間も経ってるのに、とか云々呟いて扉を開けた。
数日ほど前見たドラマでは、「おかえりなさい」と言いながら
ぱたぱたと小走りでお迎えに来る可愛いエプロン姿のお嫁さんがいたけど、
「ただいまー」と疲れたように間延びして言ってもお迎えは来やしないし、
キッチンの方から「おーう」と微かに返事が聞こえるだけだった。
まぁこんなものだよね、と慣れているせいか気にならない。
ダイニングキッチンに向かうと微かにカレーのような匂いがした。
今日のご飯はカレーだ、とか言っていたのを思い出して鍋の蓋を開けようとすると、
今朝ベッドから引きずり落としてきた張本人が慌てたようにこちらを見て駆け寄る。
「ばか、見たら殺す」
「…なにこれ」
「なにって、カレー、なんだけど」
失敗した、ともごもご口篭りながら蓋を強奪して、黒く焦げたカレーを隠した。
エプロン姿は可愛いんだけど、言動も乱暴で、事あるごとに殴られる。
それはちょっと頂けない。
「だから、ちょっと飯遅くなる」
ごめん、と見上げてくる姿にへらりと笑った。
やっぱり文句無しで可愛い。
かと思ったら数分後にフライ返しを押し付けられて、え、と間抜けな声が漏れた。
寛いでテレビを見ている途中だったから、その意図が読めない。
「ドラマ始まるから、後はよろしくな」
「はい?」
言いながら問答無用でチャンネルを変えられて、茫然と金髪を見上げた。
もちろんおチビさんの方が背は低いから、見上げるなんてこっちが座っている時しかできない。
おチビさん曰くの「テレビが良く見える」らしい場所に座っていたせいでそこから引き摺り下ろされた。
「…ちょっと、録画とかしたらどうなの」
フライ返しを持ったまま言うと、いいから静かにしろ、と睨まれる。
ハンバーグが焦げそうだったから、渋々キッチンに向かった。
『あなた、いってらっしゃい』
天使のような笑みを浮かべて主人公に言う「主人公のお嫁さん役」は言う。
『あぁ、行ってくるよ』
『もう、行ってきますのキスは?』
むくれて言い、呆れたように肩を落としながらも頬にキスをする主人公もまんざらじゃなさそうだった。
最近気付いたけど、この女優さんは可愛い。
「…おチビさんとは大違いだね」
「なんだよ、なんか言ったか?」
「別に?お迎えも見送りもしないし行ってらっしゃいのキスもないけど」
俺は十分です、と言いながらテーブルに食器を並べると、がつん、と一枚の取り皿で殴られた。
それも今朝床で打った場所を的確に。
「だれがお前なんかにするかっつーの」
こんなんだけど、本当は可愛いんです。
可愛いんだけどね。可愛いんだけど、さ。
ベッドから引き摺り落とされても、最近は受け身を取れるようになった。
「よし、さっさと行ってこい」
「行ってらっしゃい、でしょ」
苦笑して言うと弁当を押し付けられて、がつん、と額を打った。
目を狙ってくるのは、ちょっとどうだろう。
「あとシュークリームとケーキ食いたい」
「今日のご飯はグラタンがいいです」
「やだよ、作ったことないし。お前が作れよ」
ふん、と思いっきり顔をしかめてそっぽを向いたから、
その右頬に「行ってきますのキス」なるものをしようとしたら思いっきり叩かれた。
色気もなにもない。
「い、いいから、シュークリームとケーキ買ってこいって」
昨日さり気無く、どちらかというと露骨に「お見送りとお迎え」をするように言ったのが効いたらしい。
何気に照れているのか、動揺したように俯いて言った。
うん分かった、と家を出て数メートル歩いた後、何気無く振り返ったら
開けたままの扉からこっそりこちらを見ていて、目が合った途端にさっと隠れた。
これで乱暴な言動を謹んでくれれば完璧なのに、と思わず顔が綻ぶ。
なんて思ってたくせに、家に帰るなりぱたぱたと駆け寄ってくれるのはやっぱり嬉しかった。
照れ隠しにトレイで殴られたって、正直どうでも良かった。
「お、お帰り」
「うん、ただいま」
「シュークリームとケーキ買ったか?」
「あ、ごめん。シュークリームだけ忘れちゃった」
「許さねぇ」
ガン、とまたトレイで殴ってから、手に持っていたケーキ箱を奪い取って
さっさキッチンに向かってしまった。
大体ケーキとシュークリームを別の店で買えって言われても面倒臭いに決まってる。
「ケーキはここが美味しいけど、シュークリームは別の店の方が美味しいんだ」
「あぁ、そうですか」
なんで言おうとしたこと分かったんだろ。
以心伝心?
キッチンに向かうと、ケーキ箱を眺めて嬉しそうにしているおチビさんが
はっとしたように大きな桃色のお皿を隠した。
なに、と覗き込むと今まさに焼かれようとしているグラタンが盛られている。
「…作ってる」
「お、オレも食べたかったから」
別にお前のリクエストじゃない、とか言いながら買ったばかりらしい料理本があって、
ちらりとそれを盗み見てみた。
開かれているページは『初めてでもできるやさしいグラタン』。
「あーもう」
感嘆としたような声が漏れる。
「可愛い」
「ちょ、包丁あったら危ないって、ばか」
じたばたもがくのを押さえ付けて抱き締めた。
ら、思ったよりすぐに大人しくなったのが不思議で顔を覗き込む。
これで背中に包丁刺されたって文句は無かったのに、
顔が赤くなって涙目だった。
「あの、だから包丁あるし、き、着替えてこいよ」
そういやこんなことするのも久しぶりだっけ。
これで朝はベッドから夫を蹴り落としたりするんですよ。
信じられない。想像できない、っていう意味の方で。
とび蹴りだろうが何だろうが受け止めれるくらい愛おしい。
「主人公のお嫁さん役」なんかよりずっと可愛いよ、と呟いたら
首を傾げて不思議そうに見上げてきた。
目覚まし時計が鳴らなくったって、朝6時のプラスマイナス5分くらいだったら
いつでもおチビさんが起こしに来る。
「おい、起きろ!しゃっきりしやがれ!」
この掛け声の3秒以内に起き上がってなかったら、蹴り落とされるのが当たり前だ。
「さーん、にーい、いーち」
「…ま、待って、起きます、起きるってば」
のそりと上半身を起こすと、よし、と満足そうに頷いてばたばたと部屋を出て行く。
それを見送ってから、どさ、とベッドに倒れこんだ。
時計を見たら、現在時刻5時57分。
アラームも鳴ってないのに、3秒で起きろ、さもなくばコロス、なんてなかなか鬼のようだ。
そうぼんやり思っている途中で腕を掴まれて、思いっきり下に引っ張られる。
シーツを巻き込みながらフローリングの床に落ちて、がつん、と頭を打った。
身に付けた「受け身」のスキル形無しだ。
「起きろって言っただろばか!」
「…うん、ごめんなさい」
「10秒で下りて、1分で顔洗って来い」
次はとび蹴りな、と言いながら今度こそ階段を下りていった。
ばたばた、という喧しい足音を聞いて、はぁ、と息を吐きながら肩を落とす。
次は「みきり」のスキルを習得できそうだ。
家を出る前に、おい、と不機嫌そうにネクタイを掴んで引っ張られた。
あ、なにすんのさ、とそれを結び直していると、また額に弁当を押し付けられる。
「昨日シュークリーム忘れた罰だ。シュークリームとタルト買って来い」
「えー?なんか増えてない?」
「タルトはフルーツのやつな。柑橘類じゃなくて苺とブルーベリーのだ」
なんだかんだでお見送りもお迎えも続けてくれるらしい。
うん分かった、と頷いて出ようとすると、ちょっと待ちな、と
チンピラのように呼び止めてきて首を傾げる。
「なに?」
「あの、さ…えっと」
「…やっぱりモンブランにする?」
「いや、そうじゃなくて…」
俯いてもごもご口篭るから怪訝に思って見ると、手を合わせたり指先をいじったり、
分かりやすく言えば「もじもじ」としていた。
遅刻しそうなんだけど、と言い掛けたところでまたネクタイを
引っ張られて、無理矢理屈まされる。
それと同時におチビさんが背伸びをした。
右頬辺りに唇を寄せてから、あー、とかうー、とか唸って、
「や、やっぱ無理、ごめん、」
そそくさと逃げていった。
茫然としていると、ちらり、と顔を覗かせて、早く行けよばか、と怒鳴られる。
それですぐに隠れたのがあまりに可愛いかったから、
やっぱりモンブランも買おう、とひっそり思った。
先に「不意打ち」のスキルを身に付けたらいいらしい。
メイントップ店のシュークリームが有名なので買いに行きます。
「受け身」
ベッドから落とされても頭を打たない。
打撲ダメージを軽減できる。
「みきり」
とび蹴りを見切って紙一重でかわし、
死ぬ気で背後からの追撃を避ける。
「不意打ち」
不意打ちで行って来ますのキスができる。
その後すぐに「みきり」のスキル使用推奨。
「みきり」に失敗したら「受け身」。